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生の価値観 1
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霊性交流
キリスト教指導者との会談

1 タントラ・ヨーガの思想

2 解脱の智慧

3 思想・小論文

 中高生諸君よ
 君は天才だ!

 死の観念「孤独と恐怖」1

 死の観念「孤独と恐怖」2

 随筆親と子の絆

 現代少年少女の深層

 随筆日本人の東洋性

 三諦説 空・仮・中

 禅・哲学用語

 随筆 禅の六祖「慧能」

4 説法十住心
(説法十住心は順次更改掲載)
 中道
 業と因縁...ほか

5 北巳 零 著作
 「さとりへの道」ノンブル社
  「君に神を見せてあげよう」
 海苑社

6 Q&A
 瞑想とは?...ほか

7 掲示板

論文
助詞「は」と「が」
の相違の統一的説明
 中村 薫 (事務局)


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中高生諸君、君らは天才だ!

改訂 ;Oct'97
改訂版HP;5th Oct'02

  問題児は天才だ

  人間の価値
 そこにいる大人たちは、君の悩みや苦しみを解らない。なぜかというと、一つの価値観しかないからだ。君の親も含めて、周りの大人たちにとっての価値とは、すべて学力、あるいは学歴がものをいう社会だと思っている。それが人生の価値だ、と。たとえば勉強が出来れば幸せになれるのか。勉強が出来て優秀な学校へ入れば、人は幸せになれるのか、そんな馬鹿なことはない。そこらにいる大人たちは愚かにも、そんな下らない*情性に溺れて満悦している。
 有名私立高校や一流大学を卒業してエリートになれば、それで本当に満足か。エリートになることが君の人生の夢か、それが唯一の人生の目的なのか。それが君の人生ではないと思う。どこか*暗いな、その人生は…。その価値観は虚像であって、いつ崩れるか知れない「砂上の楼閣」に等しい。日本社会の今を見れば解る。
 *最近、第一勧銀頭取など幹部11名が逮捕される事件があったり、つい先日の四大証券各社の不祥事でも、ほとんどエリートたちが逮捕されている。金融関係ばかりではないが、世の中は乱れに乱れている。彼らエリートたちは、それまで自己満足できるような優雅な暮らしをしたかもしれない。しかし人生半ばで、このように崩れていくのも早いのだ。こういうことは、世の中には多い。君が考える人生の目的や幸福というのは、最終的に投獄されることではないはずだ。君自身の目的からすれば、エリートとは何だ。どれほどのものか?と考えるべきだ。
 *情性…‥鈴木大拙が「東洋的なるもの」に使う言葉。HP他「日本人の東洋性」で問題提起している。
 *暗い…‥仏教では無明無知を指す。真の智慧、理に暗いということ。今は先を悲観して言っている。
 *最近…‥これを書いた'97年当時


 君は頭がよかったのだと思う。それが今より成績を落とすことが出来なくなってしまった。成績が落ちれば先生は白い目で見るし、親はうるさく勉強しろと言う。勉強してトップになれと言う。だからいつも親の目を気にし、親や先生に褒められるために勉強した。そんな「良い子」であったかも知れない。小さい頃、勉強が出来たばっかりに、先生や親は「有名私立高校へ進め」とか「一流大学へ入れ」と言わなかったか。それで現在の高校へ入った。ところが入ってみたら、周りは勉強以外、何もしない。勉強以外は下らない、と言う生徒ばかりだ。それが大勢の「まとも」だという生徒の考えだ。だがそれは、少しも「まとも」ではない。このことは聡明な君を「大きな矛盾」へと誘った。その矛盾は、次第に大きく耐え難いほど膨らんでいったのである。「僕の人生は勉強するだけか?」「勉強だけが生きていく価値のあることか?」「僕の人生ってなんだ?」というように…。

  良い子を演じる
 その矛盾は、馬鹿な親たちが小さい頃から我が子を奴隷のように訓練してきたから起こった。小さい頃から「それが人生には最も大切で、最も価値のあること」のように言い聞かされ、大人みんなで洗脳してきた。これは一つの洗脳だよ。社会のシステムに添うように、自分の思い通りにするための 洗脳なんだ。君は、その矛盾するシステムからはみ出ようと反逆を試みている。しかしその試みは、そこらの大人から見れば、一般社会からはみ出すアウトローに思われる。それが特殊なことのように、ね。結局、みんなで君を疎外していく。君を仲間から外していく。だからその不満を親にぶつける以外にない。それが暴力となったわけだ。
 君と話す友だちもいないから、学校なんか行きたくない。行かなければ勉強が追い付かない。みんなに追い付けないから焦る。勉強が出来なくて余計みじめになる。そして自宅へ帰ると親が説教する。自分の苛立ちが全く理解できない親を見ていると、不信感でよけい腹がたつんだね。そして君の苛立ちは、ほとんど極限に達した。
 小さい頃は親に反抗出来ず、しぶしぶ従うしかなかった。そして「良い子」であれば親が喜ぶことを知っていた。いつも「良い子」でいなくてはならないと、「良い子」を演じなくてはならないのは、とても辛かったと思うのだ。君は小さい胸を痛めていたんだ、その頃から。

 でも、もういいんだ。良い子でなくてもいいんだよ。もう良い子を演じなくてもいいんだ…。そんな必要は、もうないよ。君が今登校を拒否したり、家庭で暴力をふるっているなら、それで十分だ。それ以上しても親が、君の心の苦しみを解ってくれるのは無理かもしれない。親よりも誰よりも、一番苦しんでいるのは君だ。君を理解する人がきっといる。だから解らない大人を相手に苦しむより、知ってくれる人に会ってみることだ。
 
 君は勉強以外に、特別の能力や素晴しい素質を持っていると、私は思っている。未知の分野で天才的であると思うのだ。なぜかというと、一般的にいえば、君は「アウトロー」と思われている。つまり勉強が出来なければ、周りから疎外され白い目でみられる「落ちこぼれ」だ。
 だが私は、そうは思わないのだ。そういう君の方が「正常だ」と私は考える。他の生徒は、小魚の群れのように「一定方向」しか向かない単一的な価値観しか持っていない。彼らの価値観とは、勉強が出来て、学歴社会のエリートになることに全ての価値があると言うだろう。君は、そんな価値は下らないと思う。だから、そういう人間を作る教育などは意味がないと思うから学校も行かない。親の考えていることも全く下らないから、復讐しているのではないか…。
 君自身「生きることは何か」「僕の人生とは一体何か」という問題を真剣に考え、誰にも解って貰えなくて一人苦しんでいるはずだ。
 君が社会の一般的な軌道(大人の考えている常識)からズレているからアウトローではなく、他の生徒たちが狂っているのだ。多くの生徒らが、片寄った大人のエゴや見栄に翻弄され、それがさも最高のように洗脳されているのだ。洗脳されているから、彼らは自分で狂っているとは思っていない。
 君がおかしいのではない。君たちの言動は、日本の近未来を暗示していると私は思っている。日本社会の壊滅を叫んでいる、と暗示している。周りの大人は、君たちの行動の意味に気付くかどうか。
 君たちが暗示しているのは、教育制度の在り方、大人たちの教育に対する考え方、価値観というのは、数字に表われるものしか認めていない。それが日本の末期を象徴しているということだ。たとえば学生は偏差値や入試の点数によって振り分けられているのが現状だ。模擬試験や学内テストによって入試先が決められているわけだ。生徒たちは点数によって優秀とか、馬鹿とか決められているではないか…。そして社会に出る時は、就職試験を受ける。それも同じことだ。ものや数字によって価値があるとかないとか、得点の高い低いで決められているではないか。勉強は、いわば高得点をとるのに、記憶力がよければそれで済む。数学でもそこそこの応用力はつくが、独創的なことは少しもない。つまり学校教育で覚えることは、型にはまった内容を、いかに能率よく覚えるのかである。そういう生徒には勉強以外、クラブ活動とかスポーツ、ましてボランティアなどは見向きもされない。
 学校から塾へ行き、遅く家へ帰ると、食事の時間もそそくさと夜中までまた勉強だ。放課後は、そこら辺に子供がいない。塾以外に子供はいないんだ。だから一緒に遊ぶことも出来ない。そんな毎日を試験試験で、頭もいいかげん疲れてくる。君たちはいつも親と家族、学校の先生とライバル、あとは教科書と参考書しか眼にしていない。これは恐ろしいことだ。それを拒否しようという君の方が正常で、それをいまだに続けている方が異常なんだ。

 現代の学校教育は、すべて受験の予備校にしかなっていない、といっても過言ではない。つまり、この元凶には文部省(現文部科学省)の教育方針がある。しかし今それをいっても仕方がない。その教育を受けて育ってきた君の親もやはり、学歴偏重志向の片割れであり、学歴以外に人間の価値というものを認めていない。ここで個人の独創性は、完全に拒否されるということだ。君の未知の才能はこのように、周りの大人によってつぶされていってるわけだ。独創的であれば、現代社会ではあまり必要としないということになる。しかし本当にそうなのか?。
 勉強以外に価値観を求める生徒は、教師側にとってもわずらわしい。なるべく校内で問題を起こしたくない。教師としての自分の評判や信用に関わるからね…。では会社ではどうか。会社の組織を動かすには、企業トップの意向に逆らうものは要らない。何よりも従順にトップの命令を遵守(じゅんしゅ)する社員がいれば良い。それが必要だ。だからそこに、独創的な考えを持つものがいるのは困る。そこにいる親も、周りの大人もそういう学歴偏重の徒輩ばかりだろう。君はすでに心の底で、そういう矛盾を感じているのだ。親にその矛盾を解らせるために、君は暴力で復讐しているに過ぎない。
 だが全てに価値がないと決めるのはまだ早い。社会に愛想をつかし、誰も解ってくれないからと、自殺を考えたりしてはいけない。それほど真剣な君は、周りの愚か者より「自分の存在意義」を真剣に考え苦しんでいる。そのような君だからこそ、これからの日本を背負って立つ人間となる。苦しんでいるから他人の心がよく解る。苦しむから優しい気持ちになれる。苦しみを知っているから、心の傷みが解るものだ。
 悩んでいる「君こそが、最も人間らしい人間である」と私は考える。
 考えてごらん。勉強ばかりしてるエリートに、人間らしい温かさがあるか。どこか「下らない、馬鹿な…」と君を見下げてはいないか。それで解るように、エリートと言われる人間が、日本の高級官僚になり、その連中が日本の中枢を動かしているというのは、大変危惧されることだ。
 彼ら官僚たちが考える教育というのは、記憶力の開発だけではないか。試験での高い点数を取れる、それが「高い評価?」を得ることである。それが「良い子」であったり、優秀ということである。大人たちは、自分自身のエゴを剥きだし、「良い子」を君に強要しているに過ぎない。親の体裁やプライドのために、君はその犠牲になっている。君はそう思わないか?連中に日本の未来を託すことは薄氷の上を渡るようなものだ。近い将来、間違いなく日本の教育は崩壊するだろう、と無知なものへ忠告しておきたい。
 柔軟な思考や対応が出来ない、君の親や大人たちは頭が固いだけではない。多くの子供らに被害を与えている。大人たちは「単一的な(一定方向だけの)価値観」しか持たない人間で、その価値観が崩れたとき、君と全く同じようなことをするだろう。
 最近は大人でも妻に暴力を奮い、会社を休むのがいるんだ、実際に。あるいは蒸発したり…。しかし子供には「それは駄目だ」と注意する。大人に、君を注意する資格なんてない。
 そういう下らない人間より、君は深く「自分の存在理由」「意義」を見つめ考えている。それに悩み苦しんでいる。自分を深く見つめる人は、天才的な能力を発揮する。瞑想者のように…。だから私は「落ちこぼれ」た人を「天才だ」と言う。
 君が異常なのではなく、むしろ勉強しかできない、勉強だけが生き甲斐の連中が異常なのだ。勉強なんて人生の上で大したことではない。君はまだ開いていない自分の力を出すほうがいい。まだ開発されていない。だから悲観することではない。

 私は、そういう君のような純粋な若者は素晴らしいと思う。君の悩みや苦しみを私に話してごらん。君と一緒にそれを考えていこう。そうすれば必ず解決できることだ。君が経験する苦しみは、君のように苦しむ人を助けていくことになる。それをまた、その子に話してやればいいではないか。君が話すことで人間一人、自殺しなくて済むんだ。勉強が嫌いでもいい、勉強が出来なくてもいいではないか。勉強出来れば、少しは贅沢が出来るかもしれない。だがそんな贅沢が、君の本当の人生の価値ではないはずだ。いろんな物があれば物質的には豊かといえるが、それで心が充足することはない。
 結局、人間は物にはすぐ飽きるから求めても切りがない。それより君には良き理解者や深く解りあえる人間、そして愛し愛される人間が必要だ。人間としての君の心がそれを望んでいる。これからはそういう人を求めていくほうが、君には良い。そういう人間が周りに必ずいる。なぜかというと、人間の価値観というのは、すべての人間が同じではないからだ。だから私のように、そして君のようにまったく違う価値観で生きている人間もいるのだ。だから探しなさい。君の人生を賭けて!。そのような友や人間に出逢った時、君の心は満足し、勉強だけが人生の重大事ではないことを確信する。


  君自身を愛すること
 他人とはどんなに近くても距離がある。くずせない隔たりがある。
 もっとも身近な自分を、今の自分をそのままで好きになれば良い。たとえ何があっても、どんなに嫌いな自分であっても、それは君自身が勝手に思っているだけだ。何かと比較して嫌いなだけだ。しかし人間は嫌いなだけでも欠点だけでもない。好きなところも長所もある。先ずそういう自分を今はそのまま素直に認めるしかない。嫌いだと思う自分も自分であることに違いない。ただ、いまはそれを認めるしかない。勉強が嫌いでも良し、勉強が出来なくても良し、それが自分なんだと。
 他の人間に自分を好きになってもらうこと、人に愛してもらうことを望むより、先ず自分を好きになることだ。好きになれば、自分が愛おしくなる。それが自分を大切にし、愛することになる。他人のことは解らなくても、最も身近かにいるのが自分だから、その自分を好きになることはできるはずだ。
 自分自身を愛するようになれば、他人も愛せる。いつも否定的で、ひがみやすい人間は自分を好きになれないし自分を愛せない。そういう人間は、やはり他人を愛することも出来ない。全てが逆に廻っていく。
 人を愛するのは、自分が自身を好きだから、自分を大切にしたいと自分を愛していることだ。誰しも寂しい自分になりたくないのだ。たとえば君の愛する人が喜んでいれば、君も嬉しいではないか。それが君の愛する喜びとなる。愛する喜びを求めるのは、自分を大切にしているからだ。愛する人、彼女なりが君を愛してくれる喜びを求めている。その喜びのないのは寂しい。喜びを求めるのは、自分を大切にし愛おしんでいることだ。人を愛し人に愛されるのは、心が最も安心する、無上に安らぐ時だ。その安らぎは、無上の喜びではないか。心が満ち足り(充足し)ていないか?。それが人間らしい生き方になる。
 愛することに、どれほどの*高学歴や経歴は要るのか?。そんなものは要らない。普通の人間には。それが君の生まれてきた歴史的な意味になる。歴史の中に君がいる。そうやって人間の歴史は繰り返されてきた。
 *高学歴…‥現代はそうばかりとも言えない状況にある。交際するにも、見合いするにも学歴や収入、資産などを結婚条件にする相手が多いのも実情だ。拝金的、物理主義的な人間が多い。しかし結婚はむろん、人間の幸福と言うのはそれではない。唯物的で精神的未熟なもの、あるいは心の未成熟なものが幸福であることは少ない。


 人を愛し、人に愛されることのファンダメンタル(基礎、根源)には、「心」というものがある。決して物や金銭ではない。だから君のように心底を見ている人間は、学歴がなくても十分に自分を好きになり、自分を愛し、そして人を愛し愛される。自分を愛することが出来れば、考え方や生き方にも明るさが見えてくる。これで君は、今の環境を変えていくことが出来る。変えるのは、ぶち壊すと言う意味ではない。他の人間が変わっていく、と言うことだ。君の考え方に同調する人間が現れてくると言うことだ。そういう優れた能力を持っている。だから前に進め。
 中高生諸君よ、君らは天才なのだ。だから自信を持って突き進め。(この項、終了)


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