Q&A 

瞑想は集中から入り、瞑想そして三昧(サマディー)へと進んでいきます。ここでは主に初心者の方から寄せられた質問に北巳 零大聖師がお答えになられたものを編纂してあります。

 「集中」とは…

Q;瞑想していて集中が難しいのですが…
聖師;あまり難しく考えずに、ただ一点に集中するようにしてください。その場所に意識をもってくるのです。こればかりは何度も繰り返して慣れてもらうしかないのです。
Q;瞑想しているうちに集中のポイントがずれてきます。どこだかわからなくなるのですが…
聖師;だいたいの場所でいいんです。ずれることをあまり気にしないようにしてください。大きくずれたら元に戻してあげて下さい。もしどうしても分からないときは指を押し当ててその感触を覚えてください。
Q;瞑想すると集中できなくて余計イライラしてしまうのですが…。
聖師;集中できないのは初めのうちは仕方ありません。焦る必要はありません。目をつぶって気を楽にしてやってください。
Q;では(集中は)できなくてもいいんですか?
聖師;いいえ、できなくてもいいのではなく、やってみるということです。集中できないのは初めのうちは仕方ありません。焦る必要はありません。目をつぶって気を楽にしてやってください。かえってそれを押さえ付けようとすると余計な神経を使うことになります。いろんな思いがでてきてもそれはそれで出るに任せ、それに無関心でいるほうがよいのです。
Q;色々考えてもよいという事ですか?
聖師;そうではなく、あー出て来たなぁという感じでそれをやり過ごすようにしてください。

 「瞑想」とは…

Q;瞑想というのはどういう状態なんですか。
聖師;瞑想は集中を通してその後にあります。集中を深めていくと、矛盾するようですが、今度はそこから今までにない広がりがでてきます。これを分かりやすく説明すると、障子に向かって針を突き刺していくようなものです。針の先のように細かな点まで集中すると、やがて障子紙を突き破るような変化が起きます。そうすると障子紙の穴に目を近づけた時のように、その向こうが広く見渡せるようになります。瞑想は、このように集中と拡散という矛盾したことを同時に行なうのです。
Q;瞑想していて虎がでてきたのですが…。そういうものは放っておいていいのですか。
聖師;その通りです。瞑想中に何か出てくることはありますが、それにとらわれないようにして下さい。他にも光りが出てきたり…。ですがいずれにせよすべてマーヤー(幻影)です。釈尊も修行の最後の方に5人の美女が出てきて誘惑したと伝えられています。それも現代風にいえば潜在意識です。あまりこだわることはないと思います。
Q;瞑想中に霊のようなものがでてきても無視していいのですか。
聖師;その通りです。その多くは自分の思い込みです。それもマーヤーといえます。自分の心が映し出すものです。よく一般に霊とか何とか言いますが、その働き方は本当は違うのです。
Q;座ったまま『無』になって寝てるような感じなんですが…。
聖師;寝てはいけません。『無』になることと寝ることは違います。『無』とは何もないということでなく、意識活動がないということです。だから感覚的に受け取らない、まわりに左右されないということです。
Q;瞑想していて体がしばらく揺れたのですが。
聖師;今のところは気にしないでください。その揺れに任せておいていいです。もっと瞑想が進んできたら、一点への集中を持続させなければいけませんが、今の時点では放って置いていいでしょう。

 「瞑想は危険?」

Q;瞑想を一人で行なうのは危険だと聞きましたが…。
聖師;瞑想は心理変化が大きい。ヨーガをやっていくと感覚が鋭くなり、音に敏感になったりします。そこでヨーガには制感の行が含まれます。制感ができていないと霊にとらわれたり、妄想にとらわれたりする事があります。そういう面で危険といえます。ですから、こうして一人ひとり皆さんのことを見ていくわけです。 瞑想していてどんな感じでしたか?
(とても気持ちがよかったです。すっきりしました。)
聖師;それはよかった。瞑想でその感覚がでてくればいい。心身が軽くなることを軽安(きょうあん)といいます。修行のプロセスの上で大事なことの一つです。
Q;最近私はクリシュナムルティの本を読んだんですが、彼については先生はどうお考えですか?
聖師;悟りに至る方法として、肉体を使った修行と智恵でいく場合とがあります。クリシュナムルティはどちらかというと智恵の面だね。悟りといった場合、多くは智恵の面を指し、解脱といった場合、肉体的な面を含んだものを指します。そういう傾向がある。
 禅で『証』といえば肉体より智恵の面を指します。その智恵とは普通、言葉で考えるような知恵ではなく、言葉を離れたところからみるわけです。そうして初めて全部が見える。
 禅の公案では最初のうち、弟子は頭で、言葉を使って考えます。しかし例えば1日3回ずつ30日も続けると、答もそう簡単には浮かばなくなってくる。しかし師匠は厳しく答を問い詰めていく。そうして弟子はぎりぎりのところまで追い詰められる。そこである意味でやけくそになるというか、開き直るというかそういう瞬間に答がでてきたりする。
 釈尊は自分一人で解脱した。解脱は肉体的な面を含め、また因縁からの解放をもいう。何か食べたいとか、眠たいとか、そういうことに囚われない。自分で思うようにコントロールできる。それだから自由なんです。


「親子の関係」

Q;先生は親子関係についてはどのようにお考えになっていますか?
聖師;親と子という因果関係を突き詰めて考えてみると、親と子、それだけにこだわると欲になります。人間全部、生き物全部を含めて因果関係を考えていかないといけないね。
Q;助けるタイミングというか、どこのあたりで助けたらよいか、その境目が分からないのですが…。
聖師;それはその子を信じてぎりぎりのところまでやるんです。
Q;自分自身、自信がないせいか、子供がどのくらいまでやれるのか判断が難しいのですが…。実際、その時になると冷静に判断しているのかどうか自分でも分からないのです。
聖師;そう。それはケースバイケースになる。子供の限界を見て助ける。あまり甘いと効果がない。私は死ぬ直前までやらせます。それにはその子を信じてギリギリまで頑張らせることが大切だね。そして本当の限界と思うところで助けてやるんです。そうするとその親の愛が伝わっていく。親の深い愛を実感できるんだね。…私も自分のグルに叩かれたり 、蹴られたりして悔しい思いをした。それも最初の3ヵ月間はろくに教えてはくれなかった。私の場合グルに出会ったのは自分の修行の最終段階だったのだけれども、蹴飛ばされて「おまえはもう日本に帰れ」なんて言われて、グルを信じていこうという決心もぐらつくわけで。その時はまだ本当の信頼ができていなかったと思うね。初めはインド人にこんな扱いを受けて、なんて思ったりして。…だからみんなも(弟子に向かって)お金を出せば教えてもらえるなんて思っちゃだめだよ。…そんな風にしてプライドとかなんかも、もう全部なくなって、自分を全部グルに預けていった時に初めて教えてくれるものだ。私の場合はもう死んでもいいんだと思いながら肉体を使って苦行し、ふらふらしながらやってたのだけれども…。
Q;催眠術と同じ理由で瞑想は怖いとか危険だとか言われていますね。私自身は何年か前にTM瞑想法というのを習ったことがありますが、その時のティーチャーはいい加減だったと思います。…先生のところの瞑想というのは一点に集中していくやりかたですね。何か単純なだけにすごく難しいような気がするんですが…。
聖師;そうだね。うちはいきなり難しいところから入っていきます。いわば英才教育ですね。自分で工夫させていく。禅の公案に似ているけれども、この方が本人の力がつく。あとでジュニャーナ・ヨーガにも役立ってきます。簡単に答を教えてもつまらない。聞いて分かったつもりになっても、あとですぐに忘れてしまう。
Q;あと呼吸法もやりますね。これも一歩間違えると危険だといいますが…。
聖師;呼吸法も含め瞑想は指導者がいないと、道をそれてしまうことがあります。本当は修行が進むと人格的に強く優しいという感じに変っていくはずなんだけれどね。
Q;でもそれは大変なことですね。どういうふうにしてそこまでいけるんでしょうか。
聖師;まずそれには自分を信じていくこと。そしてグルを信じていくことです。グルとの信頼関係が大事になってきます。イライラでもなんでもそれも自分なんだと、かわいい自分なんだと受け止めていく。そしてそれはグルが取り去ってくれるんだと思うことです。
Q;まわりをみて人の短所や欠点が見えても、いざ自分の事となるとそれを乗り越えていくのは大変です。
聖師;そうだね。修行というのは、その意味でも人格形成の面があります。考え方も変るし、それまで苦しいと思っていたことがそうではなくなってくる。苦が苦でなくなってくる。苦の原因を解析していくとね。…避けられないものは受け入れていくしかない。あきらめなさいよっていうことだね。…本当の苦しみはなくなってくる。
Q;また自分では受け止めたつもりでも、次の瞬間にはまた元にもどったりします。
聖師;それが普通なんです。大体全部を認めていくのは、これはまた苦痛になりますよ。無茶は言わない。嫌いな人も好きになれというのは難しい。それもまた自分であって、それでいいと認めなさいと。好き嫌い両方あっていい、と認めることです。特別好かれようと思わなくていい。ただ好き嫌いは、正しい間違いの判断ではない。あくまで主観なんです。そこでその解析というのをするんです。嫌いというのは本当に嫌なことかな?その原因はなにかな?っていうふうにね。解析してみると、些細なことが原因だったりする。本当につまらないことが原因になるんですよ。だからそれは(そのような判断は)やめよう、それに関わらずにいこう、っていうふうになるんです。分析した結果が、みみっちい原因だったらね。
Q;(笑)はい。
聖師;そうして潜在意識をクリヤーにしていくんです。潜在意識というか、魂?超潜在意識というか、そういう領域に入っていくんです。そうするとね、子供の頃の記憶がよみがえったりして、そこからの心の働き方みたいなものが分かってくる。人間の心の働き方にはクセのようなものがあって、その癖を逆に利用していくことができるんだね。
Q;瞑想はそういう深いところに入っていくんですね。それではやはり一人では難しいですね。
聖師;瞑想を個人でやっているという人はいますね。山にこもって一人でやっているのでは、猿と同じです(笑)。一人でやっていると妄想や幻想に入りやすい。ひどくなると、まともに社会生活に入れなくなることもあります。
Q;物事の見方というのは意識の置き方によって変ります。精神状態が変ると、物事は違って見えてきます。どちらが本当なのか分らなくなるんですが。
聖師;自分の気持ちが変っていくのは、自分中心に考えているからです。自分にとっての価値観でしかない。だからあくまで仮なんです。ただ仮として受け入れるということです。仮として、今の自分にとっては事実であると。実際事実かも知れない。ただ真実とは違うということです。
Q;真実とはちがうんですか…。
聖師;そうです。


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