講議 タントラヨーガの思想
1
講義;原本May'93
セミナー;Oct'95
セミナー改訂版;Dec'99
改訂HP版1;Sep'02
セミナー改訂版2;Jan-Feb'03


 ●タントラヨーガ全般についての講義は久しく、個々の行法に連関した範囲内に留めることが多かった。今回は包括的な観点から「タントラヨーガの思想」について述べる。なお、タントラ思想(Tantrism)の成立までの時代背景などは、私の蔵書の他、親しい元駒沢大学学長・奈良康明文学博士の「インドの顔」(河出書房新社刊)他を一部参考にした。奈良先生については後に触れていく。尚「タントラヨーガ」改訂HP版1(Sep'02)と重複するため(本テキストを)HP版に更改した。



 *タントラヨーガの思想と行法は、日本において非常に曲解されている。ヨーガを行ずるものでさえ正しく理解していない。時には、グルと自称するものでもおよそ無知である。基本を忘れているのか?。そうであれば無明と言う外ない。公然とこの類いの「先生方?」が多いことは、強いては日本人の分別の無さと精神性の貧困さを危惧されるのであり、どうしても直感的な違和感が拭えないのである。そこでタントラヨーガの思想を判然としなければならない。

 *タントラ・ヨーガ…‥(s;)Tantra-Yoga.タントラ本来の意味は教典を指す。異説では糸を表すと言われるが、しかしその根拠は薄い。サンスクリット語と英語の造語(現代ではこれが英語化している)に「タントリズムtantrism」があり、今回の主題でもあるが、それはインドのヒンドゥ(Hindou)社会に生まれた一種の密教的思想を言う。タントラの起源からしてこの思想を根拠として発展したヨーガと見るべきだろう。
 私が言う時の「密教的」とは、あくまでヨーガにおいての「秘密の教え」「奥義に属する教え」、いわゆる秘儀に属する部分、タントラ・ヨーガ行法を指すのであり、したがって日本の秘密仏教(Tantra-Buddhism.真言宗、天台宗系)を言うのではない。またそれとは思想、行法次第とも大きく異なる。


タントリズム  

 古代インドに興った*タントラ思想(Hindou-tantrism)は、時代の必然的欲求であった。それは*奈良康明博士によれば、およそ次のようなことだ。

 *タントラ思想(タントリズム)…‥tantrism.インド7世紀中頃に栄えた非バラモンの思想。迫害・蔑視などにより次第に地下化し、各行法などは秘儀、秘教として扱われていく。インド・タントラヨーガ行法はこれに基づく。したがって仏教での密教(Tantra-Buddhism.秘密仏教)とは起源が違う。この思想が後に仏教に邂逅し、密教として変容していったのである。
 *奈良康明…‥東京大学大学院博士過程修了。文学博士。元駒沢大学学長。インド古代言語サンスクリット語の世界的権威。現在(02)は退官して、インド・ヴァーラナーシー大学教授で一年の半分はインドに滞在し指導している。鈴木大拙に次ぐ世界的な仏教学者・中村元の弟子で、古田紹欽博士の後輩になる。


 インダス文明は紀元前3000年頃に興った。タントリズムの源泉は、ここまで溯(さかのぼ)るべきだろう。*モヘンジョダロ遺跡でシヴァ神の原型と見られる石像彫刻が発見されたが、その頃すでにヨーガの原型は出来ていたと誰でも推測できよう。

 紀元前1500年(前16世紀)頃、インダス文明は勢力を失い、すでに衰亡に向き始めていた。そこへ放牧民族*アーリヤ人が、イランとパンジャブへ侵入し始めた。彼らの宗教は、供物、生けにえを*聖火に投げ入れ、特別な*酒(ソーマ)を神に捧げ、福徳を得ようとした。アーリヤ人は次第に先住民族を奴隷化(隷民に)し、農耕生産の増大と高効率化、社会の安定を計り支配下においた。王権が強大化し、祭祀者階級(バラモン)を頂点に*カーストの原型が出来つつあった。
 紀元前1000年頃になって、アーリヤ人はパンジャブ地方からガンジス川流域にまで移動し、*勢力を拡大した。バラモンは、知識を独占し呪術の優位性を保つために教義をより複雑にし、それら(祭祀、行事、呪文、教義)を正確に暗記するための教典の*集成が行われた。こうして生まれたのが天啓文学(シュルティ)*ヴェーダである。ヴェーダとは狭義において*サンヒター(本集)を言うが、広義にはヴェーダ、それに附随する文献群を含む。

 *モヘンジョダロ遺跡…‥この遺跡は1920年、北西インド・パンジャブからハラッパ遺跡とともに発見された。
 *アーリヤ人…‥インドへ侵入する以前は、西トルキスタンでもっぱら牧畜を営んでいた民族。サンスクリット語はアーリヤ人の言語。
 *聖火…‥(s;)homa.音訳され「護摩」となった。ゾロアスター教(拝火教)、日本の天台宗や真言宗の密教護摩祈祷で、火を扱うのはこれに由来する。ゾロアスター教はゾロアスターを開祖にして、最高神アフラマズターAhura-Mazdaを主神とする。3種の聖なる火を通して最高神へ信仰を示す。
 *酒…‥(s;)soma.歓喜の酒。ヨーガでは歓喜をもたらす特殊な液を言う。類語に甘露があるが、甘露はamurtaと言う。
 *カースト…‥caste.ヒンドゥ社会を構成する極めて閉鎖的な社会単位。身分制度。実際の生活上の規定はジャーティjatiに細かく定められている。ヒンドゥにとってはジャーティ、すなわちカーストを守ることが「法dharama」である。時に(s;)varna「四姓」とも言われるが、varna本来の義は「色」を言うのであり、すなわちあらゆる物質性を指す。正しくはカーストとヴァルナは区別すべきである。jatiは「生まれ」の意。
 *勢力の拡大…‥アーリヤ人の侵攻は、武力によって先住民を制圧することではなかった。祭祀者の階級(バラモン)の呪術の優性によって帰依させていく方法が多かった。
 *ヴェーダ…‥(s;)veda.紀元前1200-1000年頃の成立。初めの成立はリグ・ヴェーダである。ヴェーダは天啓文学「surti」と言われる。
 *集成…‥ヴェーダにはかなり多くの文献がある。これらを編纂すると言うより、もっと単純に集めると言う作業であったと思われる。これらの構成に統一性が見られないためである。
 *サンヒター…‥(s;)samhita.本集。先のリグ・ヴェーダの他に、サーマ、ヤジュル、アタルヴァの各ヴェーダがある。サンヒターに附随する補則書にはブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)がある。附随する「ヴェーダ最後の部分」をヴェーダーンタと言い、すなわちウパニシャッドを指す。したがってヴェーダーンタの哲学はウパニシャッド哲学と同義。セミナーテキスト、またはHPの三諦説「空・仮・中」他を参照。


 紀元前7-600年には、インド先住民を支配下におくアーリヤ人の文化は盛んになった。 農業は小麦から稲作に変わり商工業も発達した。そして地方部族は豊かになり、*大国が成立するに到った。地方の部族から勢力を増し大国が出来ると、必然的に社会の構成に変化が起こる。このような風潮は階級制度の崩壊を意味し、新しい思想を求める集団が生まれるのである。それが*出家者(sramana沙門)、思想家、論師である。
 出家し修行すると言う萌芽は、サーンキャ哲学やウパニシャッドの哲学と業の思想、マヌ法典の債務(リナ)などの思想に因り、相当以前よりあった。
 その出家者に*仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ、前後して*ジャイナ教の開祖ニガンタ・ナータプッタが現れた。この二人の開祖と、さらに原始仏教成立後の修行者や*比丘、*沙弥などの勢力も後のヒンドゥ教に大きな影響を及ぼすことになるのである。

 *大国…‥仏教教説に出てくるコーサラ国、マガタ国などの大きな国が出来た。
 *出家者…‥(s;)sramana.シュラマナ、沙門。原意は「sram努力する」。「サマナsamana」はsramanaの俗語形。通常は男性修行者を指す。仏教やジャイナ教では、男性出家者一般を「沙門」と呼ぶ。
 *比丘…‥(s;)bhiksu.ビクシュの音写語。原意は「乞う人」「乞食者」。やがて仏教では、出家得度し、具足戒を受けた男性修行者を言う。
 *沙弥…‥(s;)sramanera.20才未満の男性出家者で、雑用を務めながら修行し正式な僧(比丘)を目指すのである。一方、沙弥尼(s;)sramaneriは女性入門修行者である。剃髪し仏門に入り十戒は受けているが、具足戒は受けていない。したがって比丘尼ではない。
 *仏教…‥(s;)buddha-sasana.(E;)buddhism.ゴータマ・シッダールタ(s;)Gautama-Siddhartha(前463-383年頃)は出家前の姓名。成道後の呼称にはさまざまある。仏教はさまざまなところで説いている。
 *ジャイナ教…‥(s;)jina.原意は「修行を完成した人」。開祖はニガンタ・ナータプッタ(前444年頃の生まれ)。教えの特徴は、徹底した不殺生戒と苦行(s;)tapasの勧めである。無所有の徹底から衣をまとわぬ「裸形派(空衣派)」と白衣のみ許された「白衣派」の二派がある。ナータプッタは苦行成道の後、現バラモンの祭祀には価値はないと主張した。



 古代インドにはさまざまな哲学、思想の学派があった。仏教、ジャイナ教などで教義、教説が整合され始めたことによって、その動向に敏感だったバラモン教自体も教典の統合性を迫られることになった。そこに正統バラモンから「*六派哲学」が生まれた。
 これら新興の学派(六派哲学など)と仏教、ジャイナ教の影響などでバラモンの勢いは一時期削がれはしたが、*変容することで勢力の復活を計った。その変容の仕方には、*大乗仏教的な思想の影響が大きいが、このような仕方で生き残りを掛けた正統バラモンたちは、ヒンドゥ教として生まれ変わったのである。
 *マヌ法典の*新たな編纂によって、ヒンドゥにはより一層厳格にカーストや*生活規範、そして生まれながらにして負うべき三つの*リナ(債務)を課せられた。
 リナに関してヴェーダ(「ターイッテリヤ・サンヒター」6)には「バラモンは誕生の時、三つのリナを背負って生まれる。儀礼に関しての神々へのリナ、学習の関しての*聖仙へのリナ、子孫に関しての祖霊へのリナである」と。これら三つのリナは、それぞれの*シャーストラ(文献)によって、より詳しく規定されている。次にその根拠となる文献を概説する。

 *六派哲学…‥サーンキャ哲学、ヨーガ、ミーマーンサー、ヴェーダーンタ、そしてヴァイシェーシカ、ニヤーヤの各学派。各学派の思想、特徴などは稿を別にし、今は省く。
 *変容する…‥先住民を支配下に置くために、バラモンたちは1.土着の神々を取り入れたり、2.身近な人格神を作って新たな信仰を拡大するなどを積極的に行った。こうしてバラモンは、本来のヴェーダの神にこれらを取り入れてヒンドゥ教へと変容していった。
 *大乗仏教的…‥上座部仏教は、仏陀の教えに帰依し信仰するものと言えるが、大乗Maha-Yanaになると釈迦牟尼個人ではなく法身仏(Dharmacaya-Buddha)を起てるに到る。この法身仏は永遠の仏であり、人間に限らず天界や阿修羅、三悪趣にまで法を説くとする。これはアーリア人の支配下にあった先住民には熱狂的な支持を受けるものであった。三悪趣とは、死後に辿(たど)る厭(いと)うべき「地獄、餓鬼、畜生」の三世界で、三悪道とも言う。
 *マヌ法典…‥(s;)Manu-sasutra.正式にはマヌ・スムリティManu-sumrti.世界最古の法典。古代の聖人マヌが説いたと言われる。
 *新たな編纂…‥これまでのヴェーダの神へ土着の神々を取込むためには、新たに「マヌ法典」他を編纂し直す必要に迫られた。編纂は前3-後2世紀頃に行われた。
 *生活規範…‥ヒンドウの日常生活上の細かな点までjati(ジャーティ)に規定されている。それとは別にマヌ法典では「四住期」を規定している。
 *リナ…‥(s;)lina.債務。人生の三大目標(トリ・ヴァルガ)としてヒンドゥには生まれながらにして課せられた債務がある。それがリナである。実利(アルタ)、性愛(カーマ)、法(ダルマ)の三つ。これらは、それぞれシャーストラ(文献)によって定められている。本文中。
 *聖仙…‥(s;)rishi.世俗を離れた聖なる成道者。北インドにヨーガ発祥の地と言われるリシ・ケシュと言う町がある。このリシ--は聖仙と同義。私はここの「シヴァナンダ・アシュラム」他に滞在した。吊り橋を渡るとまもなく「ヨーガ・ニケタン」がある。この地方一帯はアシュラム(道場)が多い。
 *シャーストラ…‥(s;)sasutra.文献、(補足的な)書籍の義。これに対してスートラ(s;)sutraは教典、聖典などを言う。


   概説 シャーストラ
 1.カーマ・シャーストラ(性愛学)
 リナの弁済には嫡男(ちゃくなん)は不可欠になる。「マヌ法典」は*性愛を否定せず、むしろ嫡男を設けることこそ、リナ(つまり祖霊へのリナ)を果たすためには必要だと勧める。ヒンドゥにとっての性愛は、リナの弁済を果たすための重要な生き方そのものである。リナを弁済できるのは、あくまで家長となる嫡男に限られているため、男子出産は弁済可能とする喜ぶべきものとした。ここに「*タントリズムの萌芽」が見える。

 元々カースト制度成立の背景には、バラモンの血統至上主義(正統バラモン主義)に伴う*浄・不浄の絶対的な観念があった。それはヒンドゥ教に到って業、輪廻の思想によってなお強く生き残っていく。
 このシャーストラと「カーマ・スートラ(性愛教科書)」とは、構成を除けばほぼ同じ内容である。ここでは具体的な「カーマ・スートラ」の構成を見る。
 第1編;総論
 第1章 論点総説、第2章 三目的の達成、第3章 期学解説、第4章 *ナーガラタ(都人士)生活、第5章 情事をする男の友人および使者の役目に関する考察。
 第2編;性交
 第1章 大きさ、時間及び強弱に拠る性交の様態、快感の種別、第2章 抱擁の様式、第3章 接吻、第4章 爪傷の類別、第5章 歯咬に関する規則、地方の習慣、など第10章まで(男女の性器を9種の組合せに分け、あらゆる性愛技巧や体位までを説明)
 第3編;処女との交渉
 第1章 求婚に関する規定、結婚関係に関する論議、第2章 処女の信頼獲得、
 第3章 少女に言い寄る方法、身振りの検討、第4章 孤独な男が配偶者を得る方法、望ましい夫を得る方法、 第5章 結婚の方式、など
 第4編;妻女
 第1-2章まで(さまざまな境遇での妻、寡婦の態度までを定めている)
 第5編;人妻
 第1-6章まで
 第6編;遊女
 第1-6章まで
 第7編;秘法
 第1-2章まで

 訳者の岩本に拠れば、ヒンドゥの社会は、性愛は肉体の愛を予想し、それは恋愛と言うよりは情事と恋の駆け引きに過ぎないものだと言う。それだけに性愛を徹底的に享受する研究があっても不思議ではないと。これに類する「カーマ・スートラ」は、カーマ・シャーストラを参考にしつつ編述されたと言う。

 *性愛…‥(s;)kama.インドには、古来より堂々と性愛を勧める風潮がある。その反面、女性はリナを果たせず、生理、出産(産褥)として死人に触れたものと同程度の不浄扱いを受ける。その思想は近来、都会では少ないが、地方ではしっかり生き続けている。このような矛盾性と不合理性も、カーストやジャーティと「マヌ法典」に因っている。
 こういう側面から、カースト下層階級に位置するヒンドゥは、来世での解脱を求めた。ここに「誰でもが解脱できるシステム」が長い間待たれたのである。タントリズムの萌芽である。
 *タントリズムの萌芽…‥*性愛の項を参照。タントリズムの一面に「煩悩に染まっている誰もが解脱でき得るシステム」が必要であり、それを可能とする。つまり煩悩を否定せず、それをも解脱に昇華させていくと言う思想である。その可能性と、カースト下層階級者の心に深く潜在する不合理と矛盾からの脱出願望が望まれる。しかもそれは解脱でしか不可能なこととして、そこに永世の幸福を託す意味もある。本文中の「タントラヨーガの根本思想」レジュメ参照。 
 *浄不浄…‥この考え方はヒンドゥ社会では、ことさらに強く遵守されなければならい。日常においても右手と左手の使い方の区別は、この浄不浄に関わる。このような思想は日本にも見られる。古来、神道においても女性の生理的な側面(血液)は不浄とされ、神門をくぐることは出来なかった。近年ではそのような観念は薄れている。
 *ナーガラカ…‥都人士。ナガラ(都会)に住む人の意。上層階級者を指す。バウダーヤナは自らの著書「バウダーヤナ・ダルマ・スートラ」の中で、都会の人は解脱できないとして、法を守らぬ都会人への反感をあらわにした。


 2.アルタ・シャーストラ(実利学)
 実利学は、天下を治めるための政治経済学、あるいは帝王学である。ダルマとカーマを維持する上で、安定した国家の管理体制作りの学問は国王となるものの必須条件となる。農業や商業、牧畜などの効率化を計り、生産を上げて国家を富ませ、軍隊を強化することもまた、帝王(国王)としての条件である。
 第1-15章(まとめ)まで

 3.ダルマ・シャーストラ(法学)
 トリ・ヴァルガ(三大目標)の中で最も重要なもので、ヒンドゥの生活全般(生き方)と法(神々への債務弁済の仕方)を定めている。その弁済すべき家長となったものが執り行う儀礼については「*祭式儀軌学」(広義でのヴェーダの一部)に定められている。
 マヌ法典では、カーストの他に「四住期」を定めているが、その時期に行う儀軌(ぎき)は次のようなものがある。
 1)学生期;入門式に*聖紐(せいちゅう。ヤジュニャ・ウパヴィータ)を受ける。古代にはヴァーラナシー(現ベナレス)で12年間も師について学問し修行したと言う。入門後は、師が父となり「再生」する。
 2)家長期;学生期を終えて帰家式をする。結婚式を上げて家庭生活を送りながら、その務め(リナ)を果たす。
 3)林住期;家長としての務めを果たした後、家督を嫡男に譲るための準備をし、遊行(ゆぎょう)に備える。
 4)遊行期;*解脱を求め*乞食(こつじき)をしながら遊行する。

 こうしてヒンドウには、一生涯に行うべき多くの通過儀礼(16章)が述べられている。また家長期にすべき儀礼には五大祭(パンチャ・ヤジュニャ)がある。
 (1)聖仙ヘの供犠(ブラフマ・ヤジュニャ)(2)祖霊への供犠(ピトリ・ヤジュニャ)(3)神々への供犠(デーヴァ・ヤジュニャ)(4)守護神、生きものヘの供犠(ブータ・ヤジュニャ)(5)人間への供犠(ヌリ・ヤジュニャ)である。

 *祭式儀軌学…‥(s;)karpa.ヴェーダの補則で、元は家庭祭式の仕方を示す「グリヒヤ・スートラ」から出来た。
 *聖紐…‥(s;)yajnya upavita.ヤジュニャ・ウパヴィータ。ヒンドゥ古来からの入門儀式で、師より受ける聖なる紐。入門許可。仏教で言えば、入門得度し受戒(具足戒)に当たる。
 *解脱…‥(s;)moksa.正しい証(真理)を得ること。古代インドマヌ法典ではヒンドゥに課せられた人生終局の(第4の)目標とした。タントリズムは、解脱そのものはバラモンに限ったことではなく、全てのヒンドゥ(つまり全ての人間)に可能だと言う主義に到った。
 三大目標(トリヴァルガ)を終えて、最終的に、来世の究極の幸福を願いサドゥとなって、ただひたすら(解脱のための)修行に入る。ここでは主にアートマンとの合一という様相が大きい。これが仏教の「梵我一如」となる。アートマンについては、テキスト「我とは」他で述べている。
 また仏教では悟り、証、等正覚などと言う。悟りなどはタントラヨーガで言う解脱とは幾分解し方に違いがあるが、それはあまり問題にはなるまい。
 *乞食…‥(s;)pinda-pata.バラモンの遊行期には乞食(こつじき)をし、ひたすら解脱のみを求める生活をする。これが仏教に取込まれ「頭陀行(托鉢によって得た食べ物を採る)」になる。


 このように規定されたヒンドゥ社会は、矛盾と不合理性を抱えながら、しかし一方で債務を弁済するべく哲学的、形而上学的思想の延長上に、誰でもが解脱できる法をヨーガに求めるのである(マヌ法典「四住期」の最後「遊行期」はそれを公然と示すものである)。遊行期においての修行は、ヨーガに拠る。

 ヒンドゥ教は、本来「万物は本質的に一なる絶対者から派生した」と言う根本理念を持つ。したがって現象世界の多様なるものは、全て一なる絶対者に収斂(しゅうれん)していく時、一切の差別は先ず対立する二つの観念にまとめられる。たとえば陰と陽、男と女と言った具合に。その二つがさらに一つに融合し、合体するところに絶対者の現成(げんじょう)が象徴されると言う。そして対立する二者を時には男性原理、女性原理とする。この男女両性によって一切の現象を表し、絶対者との関係を示すことが「タントリズムの根本思想」となるのである。さらにこれを助長する力は、ウパニシャッド以来の「*梵我一如」の思想である。

 インドの宗教には、優れた神秘主義的な宗教体験を語る伝承が多い。それは無我の中に、自分は絶対者と合一したことを説く。その合一の体験を男女の抱擁にたとえる。
 「あたかも愛する女に抱かれた男が、外のものも内のものも何も意識しないように、この神人も叡智より成るアートマンに抱かれ、外のものも内のものも何も意識しない」(「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」服部正明訳)と。
 これ(思想)を像にしたのが「*ミトナ(交合像)」であるが、実は男女の性愛の悦楽を通して神秘体験を得て、絶対者と合一した時の至福を象徴しているとも言える。しかしこのミトナを単なる隠喩ではなく、解脱のための行法とする*派がある。
 こういことからもヒンドゥの性愛への蔑視は少なく、最近のインド女性が何のためらいもなくリンガに触れるのは先の理念に拠るものであろう。

 *梵我一如…‥ウパニシャッド哲学(ヴェーダーンタ)の思想。「梵(Brahman)と我(Atman)は本来一なるもの」とする思想。この考え方が仏教に取り入れられた。サーンキャ哲学では二元論をたてるが、ここに到っては不二一元論となる。さまざまな一元論が派生したがこれは略す。
 *ミトナ…‥(s;)mithuna.男女の交合像。原意は「一対」「性交」。北インドの小さな村「カジュラーホ」には多くのミトナがあることから、この村が有名になった経緯がある。村は9-14世紀頃に「チャンデーラ王朝」の支配下にあって首府として栄えた時期がある。この小さな村に20もの多くの寺院があり、その中の「カンダリヤ・マハーデーブ」寺院の内部に226体、外部に646体のさまざまな彫刻がある。
 *派…‥シャクティ(性力)派、あるいは左道派と言う。日本では真言立川流がある。この本尊は「愛染明王」で本来はミトナと同義だが、教義の解釈が極端に過ぎる。後述の註*タントリズム参照。


  ヒンドゥの女神崇拝

 ヒンドゥ・タントリズム(タントラ思想)を見る上で、特に重要な女神崇拝を知っておかなくてはならない。

 インドには古来より*地母神崇拝(信仰)があった。当時のそれを表す、生々しく豊饒(ほうじょう)な容姿の女神が残されている。もともとアーリヤ人は放牧民族であり、母なる大地の豊饒を象徴する女神とは関係ない。したがって生命力と大地の豊かさを象徴する女神崇拝は、農耕民族である先住民の信仰だと言える。

 ヴェーダ期が終わり、変革期の紀元前6-5世紀頃になると女神の数は次第に増え始める。たとえば、智慧と美のサラスヴァティー女神(ブラフマンの后。弁財天)、富みと繁栄のラクシュミー女神(ビシュヌ神の后。吉祥天)など、さらにシヴァには多数の后がいる。*パールヴァティー(シヴァ神の代表的な后。「山の娘」の意)、*ドゥルガー神(シヴァ神の有力な后)、*カーリー女神やクマーリー(処女の意)もいる。こうして多くの女神たちが広く大衆に崇拝されるようになる。
 西暦前後の数世紀は、アーリヤ文化に覆われて、その下にあった土着(先住民)の文化が次第に表面化してくる時代でもある。女神崇拝もこうした文化の流れの中の一つである。
 豊饒で一切を包む大地の女神は、ヒンドゥを惹き付ける。万物を生み、全てを働かしめる根源的エネルギーが女性に内在する「*能力」であることから特に注目されたのである。
 シヴァが后を持つのは、男性は*シャクティによって性力活力を与えられて働くからだ。したがって女神あっての男神であるし、女神は女神のみで機能し得ない。この辺りがいかにもヒンドゥらしい考え方だ。こうして女神の地位はさらに高まり、シャクティの働きは重視されていった。

 *パールヴァティー…‥元はヒマラヤ山脈の土着神で「ヒマラヤの娘」と言われていたが、後にシヴァ神后としての地位を得た。
 *ドゥルガー…‥デカン高原の北部、ヴィンディヤ山脈地方の土着神。「マハーバーラタ」ではヴィンディヤ山に住む処女神で、悪魔(水牛マヒシャー)を殺し、酒、肉、動物などの生けにえを好むとされた。その処女性によって天を支える。ここでは「ウマー」と呼ばれる。プラーナ文献では4世紀以降、勢力を延ばしベンガル地方で信奉される。
 *カーリー女神…‥シヴァの暗黒面を象徴する女神。「何ものをも飲みつくし、時(カーラ)を征服したもの」の意。ベンガルやアッサム地方で信奉される。カルカッタ、カーマクヤのカーリー寺院は有名。カルカッタのカーリーガートはカーリー寺院を中心に発達した街で「カーリーを祀る沐浴場」の意。
 *地母神崇拝…‥北インド・タクシラには紀元前5世紀頃の地母神が残されている。前2世紀頃には、半裸で豊満な姿のヤクシニー像がパトナのディーダルガンジュ(前3世紀)、パールフット(前2世紀)、サーンチー(前1世紀)より出ている。ヤクシニー像は地母神と考えられる。
 *能力…‥(s;)shiddhi.sakti.通常、能力は通常シッディである。しかし今の場合、性的能力(性力)saktiを指す。サーンキャ哲学では、プラクリティ(自性)の具体的働きとして三グナを立てる。プラクリティは働く場所、性質によって呼び方が変わるが、saktiはその一つ。しかしシヴァサンヒターでは少し違う。
 *シャクティ…‥(s;)sakti.性力。前項参照。


 シャクティは宇宙一切の展開、*小我の救済の力とされた。
 シャクティは女神そのものに他ならないが、女神を媒体にした性力崇拝の一派が出来た。それが性力派(シャークタ)である。性力派では、神が性力と一体化(いわゆる合一)することによって(神は)*完全なものとなる、とする。そのための秘儀として*特殊な行法を発展させてきた。

 人間は小宇宙であり、全てが大宇宙に対応する。修行者自らの身体において、多様な現象世界を二元に還元し統一し、それをさらに完全な「一なるもの」へと昇華して、究極の一点に帰することだ、と言う。
 つまり*タントリズムでは、全宇宙が修行者の中の一点に収斂(しゅうれん)したことであり、全宇宙は彼(修行者)の中の一点から発展したものとなる。
 タントラ行法とは、宇宙の森羅万象がそこから流出し、派生してくる(自己の身体内部の)究極の一点にさかのぼり、そこに戻ることによって永遠に連なる体験を具備する科学的なヨーガ行法だとも言える。このような*身体科学と行法により、タントリズムでの解脱は説かれるのである。
 いわゆるタントラ・ヨーガの思想は、神秘主義的側面を含みながら発達した高度な科学的思想だと言える。


 *小我…‥(s;)jiva atman.人間の魂と同義。これに対して宇宙の根源を大我(s;)para atmanとする。つまり「我」を同一にして二面的に考えている。
 *特殊な行法…‥身体に関する特殊な科学に関わっている。この行法自体はクンダリニーヨーガの考え方にかなり近似する。その一つにはイダー管、ピンガラ管のプラーナと、中心を通るスシュムナー管の基底部に潜むクンダリニーをヨーガ行法によって統合しようとする。統合によってクンダリニー(いわゆるシャクティ)が目覚めるのである。クンダリニーが目覚めると上昇し始め、サハスラーラ(梵)に座するシヴァと合一することによって、人間は完全に一切の対立を離れた「一なる」状態、神と合一した体験を得る。
 *完全なもの…‥合一する前のシヴァは、不活発な状態でサハスラーラに座している。シャクティとの合一によってシヴァは活発に活動できる。本文中前段レジュメ、*シャクティ他参照。
 *タントリズム…‥tantrism.前註を参照。この思想には右道派と左道派がある。左道派では男女の性行為をも含まれる。二元的観念から「一なるもの」になることは、男女が合体することのアナロジー(類似)のあることは容易に想像できる。この派には「5のM(五マ字崇拝)」がある。5のMは性交(mithuna)、酒(madya)、肉(mamsa)、魚(matsya)、穀物(mudra)で、これらを共に享受することが良いとされる(「マハー・ニルヴァーナ・タントラ」には詳しく述べられている)。
 *身体科学…‥インドには古代より身体医学「アーユルヴェーダ」の発達がある。これもヨーガ思想、行法にはかなり重要な位置を占める。人間の精神学、医学、それはすなわち科学を基礎に応用発達した行法でもある。


 ▼参考;
 性力崇拝には、どの女神でも良さそうだが、中でもシヴァ神后の性力への信仰が中心的となっていく。そしてさまざまな機能を分担し受け持つようになると神后の数もさらに多くなっていく。
 元来シヴァ神は、ヒンドゥ文化が全インドに広まるにしたがって、地方土着の神々を取り入れ、飲み込んで発展、勢力を拡大した経緯がある(取り入れる度にシヴァ神の后は多くなっていくのである)。
 (註;前述と重複)シヴァ神の明るい面(人間や動物を保護し恩恵を与えるなど)は、パールヴァティー、ガウリー(輝く者)、ウマー、シュリー(吉祥)など。暗い面(疫病や災いを司り、邪悪、不幸を司る)は、カーリー、ドゥルガー、バイラヴァー(恐るべき者)である。

グル(タントラマスター)  

 ■タントラヨーガは、先ず真の*グルとの出遇いがなければならない。
 タントラヨーガのグルは、あなたを速く能率的に、確実に解脱へと導く畏敬(いけい)の存在である。だが修行者が真のグルに巡り遇うことは全く希有なことであり、真のグルに邂逅することは、ガンガーの砂粒から一個のダイヤを見つけるような最高の幸せなのである。

 むろん、(グルは)いつでもあなたの側にいて(行的精神的)ステージを見極め、次の*イニシェーションを伝授し、速やかに解脱へと昇華させるのである。それゆえ修行の目的成就には、偉大なるグルの存在は絶対不可欠なのである…。
 

 ■特記(事務局)
 主宰者「北巳零」大聖師は、北インドヒマラヤ山脈*ガンゴトリーにおいて極寒の中で修行、平成2年、サダーナンダS師より秘儀「*マハームドラー」を授与され成就された。

 *グル…‥(s;)guru.タントラにおいては、時にタントラマスターとも呼ぶ。ヨーガの直接的精神指導者。弟子(シッシャsissya)にとってグルの存在は大きく、修行レベルを昇華するには不可欠である。
 タントラヨーガ修行の全ては精神的作業に関わるのである。したがって弟子にとっては未知の暗黒世界に彷徨うばかりで、グルはシッシャの正しい修行の方向を示す必要があり、そこに経験豊かなグルの指導は絶対的不可欠となる。普通、アシュラムの指導教授はスワミ(s;)swamiと呼ぶ。
 *イニシェーション…‥(E;)initiation.一般には開始、(大人の世界に入るための象徴的な)加入儀礼を言う。ここでは秘儀の意で、解脱門へ、あるいは次のステージに昇華させるための秘儀とする。
 *ガンゴトリー…‥インド北部を連なるヒマラヤ山脈に在る小さな聖地。それより1000mほど上ったところに、氷河ゴームク(海抜4.225m)がある。主な修行拠点は、この天と地の境目のようなゴームクになる。
 *マハームドラー…‥Maha mudra。「大印」と訳す。タントラヨーガでは真解脱のための最終的なムドラー(秘儀・イニシェーション)を指す。ハタヨーガで言うムドラーは調気法と共に組み合わせた座法、また行法を指すものがある。しかし意味するところは全く違う。また「マハー・ニルヴァーナ・タントラ」にある五マ字(事)の穀物を「mudra」とも言う。 


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目的の成就には、偉大なるグルの存在は不可欠